【地域おこし協力隊】情報発信を通して得られた経験と学び

 気がつけば3月。身を切るような冬の寒さも峠を越え、春の気配が次第に色濃くなってきました。すっかり見慣れた白銀の大地ですが、これで見納めと思うと少し物惜しいような気もします。

 こんにちは。地域おこし協力隊・情報発信担当の背尾文哉です。

 突然ですが、私は今月をもって地域おこし協力隊の任期を終える決断をしました。羽後町の協力隊に就任して約一年。短い期間ではありましたが、本当にいろいろな出会いと経験に恵まれていたと感じています。羽後町で良かったと心から思える、そんな一年でした。
 そこで今回は、改めて自分の歩んできた一年のハイライトを、未公開の写真も交えながら振り返りたいと思います。拙い文章ですが、ご一読いただけると幸いです。

 春先の協力隊としての目標は、『認知』でした。情報発信をするうえで、情報収集力の向上は欠かせません。積極的に地域の方々と接触し、自分を知ってもらうことを常に心がけてきました。

 着任後、初めて取材した羽後町ホッケークラブ。ここでは、ただ取材をするだけでなく、実際に参加し体験することの重要性を学びました。

 また、5月の上旬には猟友会の方々に同行して山菜採りへ。羽後町の約7割を占める山林原野には、多彩な山菜が植生していました。郷土食好きな自分にとって、羽後町は桃源郷です。

 この頃になると、新しい環境にも慣れてきたことで、地域住民との関わりもより密接なものになってきます。

 夏休みの頭に仙道地区の地蔵院で開催された禅の集い。羽後町の子供たちが伝統や歴史と向き合う貴重な機会に立ち会うことができました。

 羽後町の夏の風物詩、西馬音内盆踊り当日には、北の盆の盆踊り幻想の照明係を担当。地域の行事の一端を担えたという感動は決して忘れません。

 盆踊りの季節が終わると、春に植えた稲が黄金色に染まり始めます。

 田代地区では、収穫を終えた稲を三メートルほどもある”ハサ”に掛けて乾かす手法が今も残っています。秋にはハサ掛けライブの会場づくり、乾燥後のハサ掛け米取り外しのお手伝いなど、ここでしかできない体験をたくさんさせてていただきました。

 10月になると、早朝のみはらし荘に赴く機会が急増しました。お目当ては横手盆地に出現する雲海。条件が整った時にのみ眺望可能な、羽後町の誇れる絶景です。

 羽後町での越冬も初めての経験でした。ゆきとぴあの事前準備に参加し、雪と格闘しながらの設営は堪えるものがありました。雪下ろし・除雪も想像以上の重労働で、翌日の筋肉痛がその過酷さを物語っていました。この生活を長年続けているみなさんには、頭が上がりません。

■最後に

 縁あって羽後町という素晴らしい町で協力隊活動ができたことを、心よりうれしく思います。今回記載した内容は活動の中のごく一部にすぎませんが、少しでも自分の活動や思いがみなさんに伝われば幸いです。
 ご拝読ありがとうございました。今後ともUGONEWSをよろしくお願いします。

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撮影・記事|地域おこし協力隊 背尾