【羽後で「動き」のある人に聞いた!】
ウゴキーマンvol.8
茂木豊和さん・裕見子さん夫婦

ウゴキーマンとは、羽後町を舞台に「動き」のある人と、地域の「キーマン」を組み合わせた言葉です。羽後町で活躍されている方、住んでいる方がどんな人なのか、普段はどんなことをしているのか、どんなことを考えているのか。UGONEWSで深掘りしていくことによって、より多くの方々に、その「人」をお届けします!

かなり久しぶりのウゴキーマン!今回のキーマンは、羽後町田代地区で専業で米を作っている、茂木豊和さん・裕見子さん夫婦。茂木夫婦は、夫・豊和さんのご実家がある田代地区で最新の技術や機械を取り入れながら、米づくりを通して地域に根ざした活動をしています。後述しますが、最初は専業で米農家をする予定はなかったのだとか。様々な出来事がきっかけで、今につながっているといいます。昨年の稲刈りの様子から撮影していましたので、写真と共に茂木夫婦をご紹介します!

【氏名】茂木 豊和(もてぎ とよかず) / 裕見子(ゆみこ)

【職業】専業米農家(合同会社高瀬ファーム)

【出身】羽後町(田代地区) / 羽後町(上到米地区)

【趣味】アニメやAmazonプライム鑑賞・ショッピング

中学校の同級生のお二人。想像していなかった専業農家になるまで。

2人は田代地区・上到米地区出身で、旧田代中学校の同級生。高校、社会人とそれぞれ別の道に進んだそう。豊和さんは、社会人になり複数の会社を経験することで、現在の活動に活きる特別なスキルを身につけていったと言います。

<豊和さん>初めての会社は製造系でしたが、その後建設系、また製造系といったように複数の会社を経験させてもらいました。転職をして数社目のある会社で、スキルアップのために資格をたくさん取らせてもらえるところがあり…。独学で毎年何かしらの資格をとり、手に職をつけていきました。そのおかげで機械のオペレーター技術や整備スキルが身につき、当時の経験が今に活きています。

裕見子さんは当時憧れていた美容師の仕事に勤めるために、高校卒業後に一度地元を離れたのだそう。

<裕見子さん>私は秋田市で働きながら、美容師免許取得のために通信教育を受けていました。当時、実家が母と祖父だけになっていたので、免許を取ったら地元に戻って美容師として働こう、と。無事免許を取得し、24歳の時に地元に戻ってきました。その後1年間地元のお菓子メーカーで働くこととなりますが、お菓子の職人さんたちを見て「やはり美容師として働きたい」と思い、湯沢市内の美容室で働くことになりました。

地元で再会した二人は結婚し、子宝に恵まれ、豊和さんの実家がある田代に住むことに。しかし、社会人の途中まではお互いに専業農家になるとは思ってもいなかったそうです。

<豊和さん>実家が農家だったので、昔から父の手伝いをしてきましたが、まさか自分が専業で農業をするとは思ってもいませんでした。父は昔から私に農業を継がせたかったようでしたが、当初電気系の仕事に就きたいと思っていたので、「農家には絶対にならない!」と父に強く言っていたほど(笑)。それでも逃れられず、平日は会社員として仕事、土日は農業の手伝いという生活をしていました。

しかし、ある出来事を機に、徐々に本格的に農業に関わっていくことになります。

<豊和さん>25歳のあるときに父が入院してしまいました。それまでイヤイヤ手伝っていたので、ノウハウはありませんでしたが、突然私がメインで動かなければいけない状況に…。そこから農業に主体的に関わるようになりました。30歳過ぎには、兼業で7町歩(ちょうぶ)ほどの田んぼで米を作っていましたが、「仕事を辞めてまで」といった規模ではなく。しかし、当時勤めていた会社が残業が多かったり、地元農家の後継者不足といった問題もあり、意を決して専業農家になることにしました。

その後、豊和さんと豊和さんの父の二人がメインで米を作ってきたそうですが、裕見子さんはお子さんが大きくなるまでは本格的には関わってこなかったそう。

<裕見子さん>子どもが横手市の高校に通いはじめ、横手でアパートを借りて子どもと2人で住んでいました。そのタイミングで規模も大きくなってきたので、就農することになり。当時は横手から田代まで通って農業をしていて移動がとても大変でした。就農してからはドローンの操縦免許や大型特殊の運転免許を取り、本格的に関わっています。

様々な工夫を取り入れ効率的に美味しいお米を作る。

現在は、豊和さんの後輩の方々と協力し、約40町歩と広大な面積で米づくりを行っている茂木夫婦。茂木さんのご自宅の小屋には、新しいトラクターや乾燥機など、大型の機械が所狭しと置かれています。そんな茂木夫婦に、生産過程において工夫している点を聞きました。

<豊和さん>少ない人数でも広大な農地をカバーできるように、仲間たちと協力し、新しい技術を使いながら「効率性」を意識して米を作っています。その一つがドローンです。数年前に実演機を見て購入しました。ドローンだと、農業用の無人ヘリよりも防除を効率的に行うことができます。数年前から周りの農家さんたちの高齢化が進み、農作業を頼まれる機会も急増しました。農地拡大とともに、徐々に機械の大型化も進めています。米づくりは設備にお金がかかりますので、全てのバランスを見ながら稼げるようにしないといけません。ですので、省力・効率化を意識して、人に頼りすぎないように取り組むことを意識しています。

また、豊和さんは中山間地域である田代地区ならではの特徴について語ってくれました。

<豊和さん>品種はあえて、あきたこまちに限定して作っています。山間部なので冬は雪が多くて大変ですし、雪解けも町の平野部に比べて2週間ほど遅いなど苦労することが多いですが、朝夕の寒暖差があり、美味しい米に育ってくれます。米の高温障害も今のところありません。地域の人たちと協力して作り、美味しいお米ができた時の喜びは格別ですね。また、田代で作った米のブランド化にも取り組んでおり、大手焼肉店やとある道の駅の食堂、大手スーパーでも取り扱っていただいたりと、多くの方々から品質を評価していただいています。おいしいお米をつくれば、知名度も徐々に広がり取り扱いも増える…。このような良い循環を生むために、これからも品質にこだわって育てていきたいと思っています。

それでも昔と比べて変化していることも多いそうで…。

<豊和さん>平野部と比較して涼しかった田代地区も、年々気温が上昇し、近年は栽培管理が大変になってきています。稲刈りの間にも草が伸びたりするので…。また、昔の田代地区は「*はさがけ」をどの家でもやっていて、秋の風物詩だったのですが、乾燥機が普及してからその光景もあまり見なくなってしまいましたね。

*はさがけ・・・刈り取った稲を乾燥させるための方法の一つで、天日と自然の風を利用して乾燥させること。

「この風景を変えたくない」。地域を守る茂木夫婦がこれからについて思うこと。

田代地区は、昔と比べて若者が少なくなってきており、農業も担い手が不足しているとのこと。そんな現状に対して、茂木夫婦が思う「今後の目標と地域のこれから」について熱く語っていただきました。

<裕見子さん>地元の小学校や中学校がなくなっていくのを間近で見ていて、どんどん取り残されている感覚はあります。ですが、私たちはこの地域で生まれ育ってきましたし、農家だからこそ土地への責任もある。この地域を、将来世代が「無理のない形」で繋いでいくことが、私たちの使命だと思っています。

<豊和さん>これまでは個人で農業をしてきましたが、最近、法人化をしました。やはり、子どもの頃から見ているこの風景を変えたくない、という思いが強いです。そのためにはなるべく耕作放棄地を作らないこと。この地域を将来に繋いでいくために、いずれは後継者を見つけて育てていく。稲作は、田んぼという固定された土地を使うため、他の作物に比べて特に地域に根ざした農業だと思っています。また、地元に住んでる人じゃないと、水の管理などは距離の面から難しいことも多い。これからは「地元の人」を育て、この地域を農業から支えていきたいと思っています。

(↓法人名「合同会社高瀬ファーム」のロゴデザイン)

最新の技術や機械を活用し、地域に多大な貢献をしている茂木夫婦のお話を聞き、改めて、私も地域に対してどんな貢献ができるかを考えさせられる良い機会となりました。お忙しい中、時間を作ってくださった豊和さん・裕見子さん、本当にありがとうございました!

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UGONEWS編集部(地域おこし協力隊|土田大和)