【羽後で「動き」のある人に聞いた!】
ウゴキーマンvol.5 薄井あゆみさん(前編)

ウゴキーマンとは、羽後町を舞台に「動き」のある人と、地域の「キーマン」を組み合わせた造語です。羽後町で活躍されている方、住んでいる方がどんな人なのか、普段はどんなことをしているのか、どんなことを考えているのか。UGONEWSで深掘りしていくことによって、より多くの方々に、その「人」をお届けしてます!今回は前編・後編の2回に分けてご紹介します。

羽後町でいぶりがっこの製造と飲食業を営む。

新成地区足田(たらだ)、明成小学校のすぐ近くに事務所を構える、「有限会社ゆめ企画 須藤健太郎商店」。こちらの会社は、昔ながらの製法にこだわったいぶりがっこの製造・加工・販売を行っています。また、焼き芋専門店の「あいす焼きいも まつり」で飲食業も営んでいます。今回はゆめ企画の代表取締役、薄井あゆみさんにインタビュー。薄井さんはゆめ企画の2代目の代表ですが、前代表の親族ではなく、社員から会社を承継しました。「継ぐ」という決断に至るまでの背景や、いぶりがっこ製造へのこだわりなど…。地域を愛する女性経営者にいろいろ聞いてみました!

【氏名】薄井 あゆみ(うすい あゆみ)

【職業】有限会社ゆめ企画 須藤健太郎商店 代表取締役社長

【出身】由利本荘市(旧鳥海町)

【趣味ゲーム(スイカゲーム)、三味線(これから本格的に始めたい)

いろいろなことにチャレンジしてきた人生。縁があり羽後町へ移住。

ーはじめに薄井さんのこれまでについて聞かせてください。ご出身はどちらでしょうか?

〈薄井さん(以下同じ)〉私は由利本荘市の旧鳥海町出身です。中学校まで鳥海で過ごし、高校は由利高校に通いました。家から高校まで結構距離があったため、自炊式の寮に入り、高校生で実家を出て1人暮らし。当時はすごくワクワクしたし、楽しかったのを覚えています。

ー高校生で1人暮らしは早いですね!たしかに楽しそうではあります。高校を卒業してからはどうされましたか?

地元に戻り、電子部品会社の事務職として勤めはじめました。2年間くらいはその会社で働いたんですが、性格的に同じことをやり続けるのがどうも苦手で…。今までやったことがないことにチャレンジしたくなり、旧本荘市にあるジュエリー系の会社の接客・販売業に転職しました。

7年間くらいその会社に勤め、あるお店の店長を任されるようになりました。ただ、全国に店舗がある会社だったため山形、栃木、東京と3、4ヶ月スパンで転勤があり…。業績を上げるためにいろいろ努力しましたし、そこで経営を学ぶこともできましたが、県外で過ごすうちに、いずれは秋田に戻りたいと思うようになりました。

ー異業種へのチャレンジは大変なことも多かったと思います。秋田に戻ってからはどうされましたか?

結婚式の衣装レンタルなどを行う、湯沢市の会社に転職しました。実家から無理なく通える範囲でしたが、入社してすぐ横手店の開業が決まり…。前職の経験もあったので、オープンしたばかりの横手店で働くことになりました。ただ、横手へ通うのは距離的に結構しんどくて。その時期に羽後町出身の方と結婚することになり、それを機に羽後町へ移住しました。

就職先をハローワークで探していた時、今の会社の紹介があり、連絡したところその日のうちにすぐ面接、採用。事務・経理職で入社することになりました。その傍ら、前職の経験で少し経営についての知識がありましたので、現会長からの経営の相談に乗るようになり…。気づいたら営業や人事、製造など会社の業務全般に関わるようになっていました。これまでの人生ではアクティブに動いていたので、羽後町ではゆったりとした人生を、と思っていたんですが…(笑)

そんなこんなで、入社して4年目のある日、現会長から「会社を継いでくれないか」という相談がありました。経営者になるということは想像もしていなかったため、すぐには決断できず、非常に悩みました。

社員から社長へ。決断の背景とは。

ーほかの社員の方々もいらっしゃいますし、会社を継ぐというのは相当な覚悟が必要だと思います。決断に至ったのはどういった理由からでしょうか?

理由はいくつかありますが、一番大きな出来事は、継ぐかどうか悩んでいた期間のある日、会長が体の具合を悪くして倒れてしまったことです。「人間いつどうなるか分からないんだ」と身に染みて感じました。と同時に、「せっかく信頼して任せてもらえるならやってみよう!」という気持ちも芽生えてきて…。元々、会社に対しては「秋田を代表するものを作っている」という自信を持っていました。そんな誇りある会社と従業員の方々を守るために、会社を継ぐ決断をしました。

ーすごい決断ですね。薄井さんの心意気に感服します。そういえば薄井さんは飲食店の経営もされていますが、始めた理由などお聞かせください。

焼きいも専門店の「まつり」ですね。もともと居酒屋だった空き店舗で2年前に開業し、昼はランチ、夜は居酒屋として営業をしています。社長になってから、「目に見えて地域に貢献できることをしてみたい」と思うようになったことが、始めたきっかけです。元々賑やかな場所が好きなので、そういった場所を作りたいという思いもありました。当時世間では焼きいもブームがあり、私も焼き芋が好きだったので、焼き芋専門店を作りたいと思うようになり…。会長にも相談したら乗り気になってくれて、営業をスタートさせました。最初は1年間、土日だけ営業していたのですが、平日はいぶりがっこ、土日は焼き芋、と私の体が持たなくなってきて…。今はまつりの専任スタッフをお迎えし、平日のランチも営業できるようになりました。

ー先日私も取材に行かせていただきましたが、ランチとてもおいしかったです!

ありがとうございます。私の場合は本当に運が良くて、「周りの人たちに恵まれているな」とつくづく感じます。特に商工会青年部のみなさんにはとてもお世話になっています。私は居酒屋を運営した経験がなかったのですが、まつりの夜営業は羽後町で冠婚葬祭業を営んでいる「マインド」の阿部さんに手伝ってもらったりなど…。みなさんには本当に感謝してもし尽くせません。

▼「あいす焼きいも まつり」の紹介記事はこちら!

【あいす焼きいも「まつり」】 焼きいも専門店が作る絶品ランチをご賞味あれ!

以上、薄井さんへのインタビュー記事前編でした。後編では、いぶりがっこ製造へのこだわり、承継時の成功と失敗、地域への想いなどを聞いていきます。お楽しみに!

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UGONEWS編集部(地域おこし協力隊|土田大和)