ウゴキーマンとは、羽後町を舞台に「動き」のある人と、地域の「キーマン」を組み合わせた造語です。羽後町で活躍されている方、住んでいる方がどんな人なのか、普段はどんなことをしているのか、どんなことを考えているのか。UGONEWSで深掘りしていくことによって、より多くの方々に、その「人」をお届けします!
今回は、羽後町でそばの6次産業化に取り組む、「農業生産法人 株式会社そば研」代表取締役社長 藤原洋介さんにお話を聞いてきました。文化庁の「100年フード」にも登録された羽後町の名物「そば」ですが、その実態について意外と知らない人も多いのでは。前編と後編に分けて、会社やそば栽培についてお伝えしていきます!また、取材の時期はちょうどそばの収穫シーズン。後編では収穫の様子もご紹介します。
【氏名】藤原 洋介(ふじわら ようすけ)
【職業】農業生産法人 株式会社そば研 代表取締役社長
【出身】羽後町(大戸地区)
【趣味】映画鑑賞
そば研発足の経緯。手探りだった創業初期〜現在。
ー本日はよろしくお願いします。はじめに、そば研がそばの生産を始めることになった経緯を教えてください。
〈藤原さん(以下同じ)〉現会長の猪岡(前・代表取締役社長)がそばの生産を始めたことがきっかけです。当時、農家だった猪岡は、地元の農地がどんどん荒廃していく姿を目の当たりにし、問題意識を抱えていました。そこで、「転作作物が農地の荒廃を守るための一助になるのでは」と考え、当初は転作作物の主流だった大豆や麦などの生産を考えたそうです。しかし、大豆や麦などは山間部での生産が難しい作物で、田代地区や仙道地区などの山間部のある羽後町では生産が難しい。そこで、飢饉(ききん)作物といわれ、生産における対応性が高い「そば」に着目しました。また、そばは古くから羽後町の名物なので、「美味しい蕎麦処には産地もある」を実現するため、そばの生産をスタートしたそうです。
(創業者の猪岡現会長)
ーきっかけは、地域課題とそれに対する前会長の思いだったのですね。名物のそばを生産し解決を目指す…発想が素敵です。
作り出したはいいものの、当初はとても大変だったそうです。畑の生育状況を一つ一つ見にいき、全て手作業で収穫・脱穀をしていたので、手間がかかりすぎてこのままでは厳しい、と。当時は有志の人たちで生産していたので、町から機械を借りるために団体を作ることになりました。そこで平成10年に、そば研の前身である「羽後町そば栽培研究会」が発足しました。最初は2〜3ヘクタールくらいから始まりましたが、農地がどんどん拡大し生産力が追いつかなくなり。融資を調達し機械を増やさなければ、ということで、平成24年に愛称の「そば研」をとって株式会社にしました。
ー手作業でスタートしたとは。拡大していくことでまた別の苦労が増えていきますよね。
失敗を繰り返しながら進め、その甲斐もあり、数年経つと生産に関して一定の知識がついてきました。もともと「階上早生(はしかみわせ)」という品種を作っていましたが、せっかくであれば羽後町の独自ブランドになるような品種を作ろう、という話になり。全国に先駆けて「にじゆたか」と「夏吉(なつきち)」の2品種を試験的に作り始めました。「これが自分たちの品種になるんだ」と思うと、栽培試験もすごく楽しくて。採れた2品種を、東京の飲食店や、チェーン店の本部に体当たり営業で売り込んで行きました。
(試験栽培の種まきの様子)
(試験栽培にて開花の様子)
(東京都そばチェーン店『しぶそば』にて採用)
ー羽後町から独自ブランドとは…なんだか誇らしいですね。
「自信のあるそばができた」と思って売り込んでいたんですが、当初は思うように売れず…。一つ印象的な出来事があって。とある営業先から「うちはもっとうまいそば粉を使ってるぞ」と言われたんです。実際に使っているそば粉を見せてもらったら、色の違いが一目瞭然でした。お客様からすると、安くて美味しくて見た目が良いものを買うのは当然ですよね。「些末なもので営業をかけていたな」と、自分たちの現状を知ると同時に「もっと良いものを作っていかなければならない」と気が引き締まる出来事でした。そばの生産は、単純なようで奥が深い。今でもその教訓を胸に、美味しいそばを作るための努力を続けています。
ー素晴らしいエピソードです。お客さんは関東圏が多いのでしょうか?
そうですね、関東圏のそば屋さんが多いです。そば研では玄そば(乾燥したそばの実)や加工場で製粉にしたものを出荷し、現地の加工会社やそば屋さんを通じて一般のお客様に食べてもらえるようにしています。収穫したそばは、町内だと猪岡の実家である『彦三』、町外だと『大曲食堂』や角館の『船場 龍水庵(ふなば りゅうすいあん)』など県内数店舗で食べる事ができます。彦三がベースですが、店ごとに微妙な違いがあり美味しいですよ。
ー彦三は何回か行ったことがありますが、他の店舗にもぜひ足を運んでみたいです。そば研さんのそば粉は羽後町産のみを扱っているのですか?
もちろん、自社栽培した羽後町産の原料が出ている時は羽後町産のものを使います。それに加えて、秋田県内や岩手県の生産者とも契約し、使用しております。町内での生産に関しては、畑や田んぼを所有しているおよそ580件の農家から弊社にそば生産を委託していただき、そば研で生産・加工を行なってそばを買い取るところまでを担い…。田んぼが321.5町歩、畑の数が全部で3024枚もありますので、種まきや刈り取りは町内の農家さんや、農業法人に協力をいただいて行なっています。
そば生産のこだわり。気をつけていること。
ー次に生産に対するこだわりなどについてお聞かせください。まず、そばの生産過程においてのこだわりを教えてください。
こだわりは…一番は収量を上げることですかね。そばの場合、収量が上がることは、適した環境で育てられたことを意味します。今年のチャレンジとして、夏そばの『夏吉』の生産に力を入れています。そばの生産は「秋そば」という、夏に植えて秋に収穫する品種がスタンダードなのですが、昨年は猛暑で秋そばの収量が少なくて…。そこで、春に植えて夏に収穫する「夏そば」に力を入れよう、と。場所によって環境が違うので、全て『夏吉』というわけでなく、生産地に合った品種を育てるなど、昨年の生産データや、今年の気象の傾向を参考に生産計画を立てて栽培しています。
ー夏そばと秋そばがあることを初めて知りました。環境によっても出来が変わってくるのですね…。
1日の平均気温が1度違うだけでも、生育にかなりの影響があります。県の発表するデータを見て収穫時期を予測し、現場でそばの実を見て判断する。特に収穫の時期は、天候の変化に敏感にならなければいけません。
※天候の参考にしているという「秋田県農業気象システム」
ーデータと現場を睨めっこしながら適切な収穫時期を判断しているのですね。ちなみに品種によってどんな違いがあるのでしょうか?
『にじゆたか』は秋そばで、茎が太く収量が多い。全国に先駆けて羽後町で作り始めましたが、今では岩手県全域で栽培されるなど、東北のスタンダードな品種になっています。『夏吉』は、これまで夏ソバとして栽培してきた階上早生やキタワセと比較しても、収量が多く、食べても香りが高く色味もきれい。夏そばは味が薄い、と言われたことがありますが、夏吉はそんな特徴に反した品種です。
ー品種によってそんな違いがあるとは。奥が深くて面白いです。収穫後のこだわりはありますか?
品質維持のために、収穫から乾燥までの時間の短縮を意識しています。暑い日は収穫した実がすぐ発芽しようとするので、時間を置くとそば粉の繫がりが悪くなるんです。また、そば研は穀物検査の登録検査機関になっていますので、厳しい基準で品質チェックを行っています。検査が厳しい分、出荷できる蕎麦粉の品質は間違いないです。
製粉は、ほとんど石臼で挽いています。その際の温度調整がとても難しく…。挽く際、石臼の摩擦熱や外気温によって粉にしたときの出来上がりが変わってくるため、特に夏場は、その日の天候を見ながら石臼の調整をかけています。
(製粉方法によるそば粉の白度の違い)
◯(参考)年間スケジュール
そば栽培の年間スケジュールを藤原さんに教えていただきました。
・2月〜3月 栽培スケジュール作成
・3月〜4月中旬 農家との契約等
・4月下旬〜5月末 種まき(夏吉)
・6月〜7月 種まき(階上早生)
・7月下旬〜8月上旬 種まき(にじゆたか)
・7月上旬〜8月中旬 収穫(夏吉)
・9月上旬〜9月下旬 収穫(階上早生)
・9月下旬〜10月上旬 収穫(にじゆたか)
※種まきして75日程度で収穫するのが一つの基準
※気温や圃場状態をみて、ソバの品種特性を活かした栽培方法を行う
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前編はここまでとします。後編では、藤原さんご自身のことや、地域への思いについて語っていただきました。お楽しみに!
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UGONEWS編集部(地域おこし協力隊|土田大和)