協力隊員物語第2弾は、太鼓の達人のソウさん(莊 優輔・そう ゆうすけ)。今年で協力隊3年間の任期を終え、5月から新たに羽後町の定住支援員としてのお仕事をはじめました。
神奈川で生まれ育つも、東北で出会ったひょんなきっかけで価値転換が起こったそうな。都会で日常を営んでた若者が、果たしてどのように田舎の片隅の羽後町(褒め言葉)にたどり着いたのでしょうか?
どうして羽後町に?
「そもそも羽後町を知ったきっかけは何だったんですか?」
「もともと歴史のある郷土芸能に関われる地域を東北で探してたんです。どこかの地域おこし協力隊になることを考えてる中で、羽後町っていう地域には西馬音内盆踊りなど色々あるらしいと知って…」
「郷土芸能っていうのがキーワードだったんですね」
「といっても西馬音内盆踊りに惹かれてきたわけではなくて。郷土芸能って、そこに住んでる人たちの生活とか気候とか全てがあって、成り立つものじゃないですか。地域で生活すること自体が、芸能に関わることなんだな、と思って。郷土芸能に関わるにはお客さんでいるんじゃなくて、その地域に住むっていうことが大切なのかな、って思って。西馬音内盆踊りも関われたらいいなくらいの気持ちで、羽後町にきたんですね。」
もともとは何してたの?
「もともと郷土芸能に入れ込んでたんですか?」
「大学の頃、郷土芸能サークルに入ってたんです。表向きは和太鼓サークルだったんですけど、蓋開けたら郷土芸能のサークルだった(笑)」
「ええっ(笑)」
「そのサークル活動の中で、様々なお祭りに関わる機会があって。東北のお祭り幾つかと、さいたまの秩父の屋台囃子と、東京の伊豆諸島の三宅島のお祭りなどをやってみたりとか。現地に行ってみたり、現地の人に教わったりもした。」
「太鼓サークルなのに、だいぶ幅がありますね。」
「太鼓ガンガン叩くだけでなくて、踊りもしてみたり。神楽の真似事みたいなのもしてみたし、ねぶたっぽいのも踊った。元々和太鼓は中学の頃からずっとやってたんだよね。その延長で和太鼓サークルに入って、郷土芸能というのを初めて知った。そこで実際に地域にお祭りを見に行くことで、生活とお祭りって、こんなにも密接に結びついてるものなんだ、って衝撃を受けたのね。」
「ふむふむ」
「価値転換が起きるわけですよね。カルチャーショックを受けた。そして次第に『こんな場所で生活をしてみたいな』って思い始めたの。それから、東北で郷土芸能に関われそうな地域を探し始めた。」
「でも、どうして東北だったんですか?」
「やっぱり、価値転換が起きたのがが東北だったからかな。例えば、青森県の今別町という人口2000人くらいの地域では、小さなねぶたで町内を練り歩くっていう祭りがあるんです。」
「へぇー。」
「そこでは男と女で一組のペアになって、町内を練り歩いて、色んな場所で踊る。それを初めて見に行ったときに、地域のお母さんがお囃子の音きいてふらっと出てきたり、お囃子の笛を吹いたり、っていう光景を見て、『こんな世界があったんだ』って驚いた。」
「ちなみに何ていうお祭りですか?」
「『荒馬(あらま)おどり』って呼ばれてる。世界大会もやってるよ。」
「世界大会…!」
「このお祭りは元々ねぶたの派生らしいね。ねぶたって、大きいじゃん。ここのは二人で手作りの小さいねぶたを押すような感じ。そして地区ごとによって踊りも、祭りの時間も違うの。ねぶたと同じ時期にやるんだけどね。」
「小さいねぶたっていうのは知らなかったですね」
「そんなわけで、東北がきっかけなのね。大学1年生のときに、何も知らない状態でそのお祭りを目撃して、カルチャーショックを受けるわけですよ」
「大学1年生にとってはディープな世界ですよね…」
「羽後町にきてから、『元々和太鼓やっていました』っていう話が広まって、『じゃあ、子どもたちに教えてみたら?』って誘われた。田代地区の高瀬小学校の夢キラプロジェクト(*ふるさとの伝統芸能継承事業。詳細はリンク参照)につながって、田代の和太鼓サークルに出会ったんです。協力隊最初の年からやってるから、今では3年ほど、ずっと関わってる。」
「長いですねー。他の郷土芸能については、どうですか?」
「いずれは『羽後町の芸能全部見たい』って思ってます。でもなかなか見れないんですよ。仙道番楽なんかも見れないじゃん。白山神社の一年に一度の例祭で見れるくらいで。」
「協力隊の3年間は、どんな仕事をしていたんですか?」
「気づいたら、インターンシップ事業をやってた。僕が羽後町に来た時にちょうど、大学生が地域企業の課題解決に取り組む実践型インターンシップの事業が始まることになった。そこで『コーディネーターやる?』ってなって、来た当初から関わることになった。」
なぜ羽後町に定住することに?
「協力隊の3年間の任期を経て、いろんな選択肢会ったと思うんですけど…定住支援員として残るという決断の決め手になったのは何ですか?」
「ずっと『羽後町に残れたらいいな』と思ってた矢先に、定住支援員の話があるって聞いたんです。羽後町ではまだ、移住定住に向けた動きがあまりやれてない中で、移住定住を様々な形でサポートするのが仕事だね。」
「うんうん。」
「残るって決めたのは、やっぱり協力隊任期中の3年間でできた人との関係性。それって無碍にできないな、簡単に切れないなと。100もらった中で、まだ20くらいしか返せてないかな。まだ返しきれてないっていうのを、今でも感じている。だからこれから少しずつ返せたらな、って思ってます。」
「羽後町にとっても初めての定住支援員になるので、手探り状態じゃないですか?」
「まずは空き家バンク(*移住定住促進のため、自治体が空き家を紹介する制度)を充実させなきゃいけないよね。外への町の情報発信はすぐできるけど、実際に移住者を呼び込むのは難しいから」
「そうですよね」
「羽後町を知ってもらうための下準備が必要なのかな。住む環境って、一番大切じゃん。どんな家なのか、どんな地域でどんな人たちがいるのか、とか。結局住むっていうことは、人対人の関係が一番影響が大きい。だからすべての情報を発信する前に、まずは情報を整理したい。」
「たしかに」
「空き家も沢山あるけど、まず住める空き家かどうか、どこまで住めるか、っていうのがあるじゃん。空き家があるだけじゃすぐには貸せない、当たり前だけど。来月から入りたいんだけど、って言われても『えっ?!』てなるじゃん(笑)」
「じゃあしばらくは、空き家の片付けですかね(笑)」
「空き家を持ってる人も沢山いるんだろうけど、その人達にはどういう手段があるかの選択肢を提示できればいいかなって。開店するのもありだし、リフォームして自分が住む、もしくは誰かに貸すとか、いろんな選択肢があるじゃん。」
「そうですね。定住支援員はどれくらいの任期なんですか?」
「年度毎の更新なんで、まずは今年をしっかりと…って感じかな。」
「じゃあいずれは花嫁道中で結婚式をあげて…」
「そういう話はまだないですね…」
「ここで彼女募集しちゃってもいいですか?」
「募集してもいいですよ(笑)。まあ本来であれば、結婚して定住というのが理想なのかもしれないけど、地域としても。」
「地域にいると、よく言われますよね(笑)」
「でも、結婚願望はまだないよね。小森くんはある、逆に?」
「なんともいえないですね…あるはあるけど、もうちょい食っていけるようになってからですかね…」
「そういうのあるじゃん。協力隊から即座に結婚を考えるのって、やっぱり難しいんですよね…」
「好きな女性のタイプは?」
「じゃあ…髪が長い人。」
「他には?」
「ほかは無いです(笑)」
「髪が長ければOK、と…」
(となりで会話を聴いた協力隊員のトモミさん。髪が長い。)「あら、どうしよ…(笑)」
「ちなみに何センチくらい?」
「肩くらい。テキトーだけど(笑)」
「髪が肩まで長いUGONEWS読者のみなさん、ぜひ奮ってご検討下さい!(笑)それではソウさん、3年間お疲れさまでした!」
中学の頃に始めた和太鼓をきっかけに、羽後町へ移住したソウさん…人生、何がどうつながるかわからないものですね。
協力隊員物語の第3弾は、幼くして羽後町から東京へ引っ越し、とある夢を抱えて羽後町にUターンしてきた阿部 朝美(あべ ともみ)さんにお話を伺います。
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