町を元気にする人にインタビュー!
【UGOFAMILYウゴファミリー|No.02】
茅葺きに魅せられた男・小林茂和さん|第2話

「UGO FAMILY|ウゴファミリー」とは、町内外どこに住んでいても様々なカタチで町を応援してくださる方々への敬称です。

たとえば町の交流イベントに参加してくれた方、町の活性化に協力してくれた方、遠くから町を応援してくれている方、町に移住してきた方などなど。これまでそんな方々の素敵な活動や功績が、町のあちこちで生まれてきました。ただ、その物語を知る機会はなかなかありませんでした。

新しく始まる連載記事では、特にご縁の深いウゴファミリーにインタビューを行い「メンバーのいま」「ご縁のきっかけ」「これまでの活動」「これからのビジョン」をヒアリング。これまであまり知られていなかったストーリーを記事にしてご紹介していきます。

鎌倉から羽後町に移住!小林茂和さん・第2話

連載2回目にご紹介するウゴファミリーはこちらの方。不思議なご縁に導かれて羽後町に移住。田代地区で米農家をやりながら茅葺きの古民家を農家民宿に再生中の小林茂和さんです。今回も全2話でご紹介していきます。

まずは小林さんのプロフィールをご紹介します!

【氏名】小林 茂和(こばやししげかず)
【職業】新規就農米農家・茅葺職人見習い(兼業|合同会社運営)
【出身・居住】東京都出身・羽後町田代地区在住
【趣味・特技】野球・アメリカンフットボール

【現在の主な活動】2019年より羽後町田代地区に移住。お米栽培をしながら、茅葺き屋根の古民家を農家民宿に再生させるため奮闘中。年内での民宿営業開始を目指している。

▶︎第1話はこちらから!

小林さんの町とのご縁|導かれた魂と大きな決断

〈インタビュアー|UGONEWS記者・松浦(以下同じ)〉
ードイツから日本に帰ってきてから、羽後町と出会ったきっかけは何だったんですか?

〈小林さん(以下同じ)〉
ドイツから帰ってきてからは、日本のXリーグ(日本社会人アメリカンフットボールリーグ)に所属していましたが、膝の手術をした後はなかなかパフォーマンスも上がらなくて。2018年の春にアメフトを辞めたんです。それで、どうせなら自分が好きでやっていることが誰かの役に立つことはないかなと思って。

言ってしまえば、当時の仕事はフットボールを続けるための仕事でした。情熱を傾けていたフットボールがなくなって、家と仕事場の往復になったときに「俺はこれでいいんだっけな?」と思い始めたんです。それで、なにか他のスポーツをやろうかなと探したんですけどアメフトに勝るものがなくて、やりたいのはスポーツじゃないなと。

そんな時、小さい頃から田舎の風景や民具や建具など昔のモノが好きだったことを思い出して。自分の興味を仕事に繋げられないかと考えて、まずは古民家を探そうと思ったんです。それで東北の太平洋側の地域を廻っていました。

ある日岩手県に行ったんですが、帰りの新幹線まで時間があったのでレンタカーで当てもなく走ってたんです。その時に一関市で茅葺きの文化財を見つけて、ぷら~っと立ち寄ってみたんです。運よくその家のオーナーのお婆ちゃんと話をすることができて。その後生まれて初めて、修繕中の茅葺き屋根に登らせてもらったんです。そしたら「ああこれ気持ちいいな~」って感じたんです。

その体験をきっかけに“茅葺き”に興味が湧いて、ネットで〈茅葺職人 育成〉って調べたんです。そしたら過去の羽後町の茅葺き職人プロジェクトが見つかったんです。それで問い合わせをしてみたら、当時の移住定住担当だった正和さん(現在NPO法人みらいの学校に出向中)が電話にでてくれて。「うちの町は古民家いっぱいあるから来ませんか?」と誘ってくれたので、さっそく羽後町に行ってみることにしたんです。

ーなるほど、そんなストーリーがあったんですね。実際に羽後町に来てみていかがでしたか?

正和さんと鈴木家住宅の鈴木杢之助さんに、町内の茅葺き民家を案内してもらいました。途中で「ミケーネの久夫さんに会わせよう」という話になって、久夫さんが経営されている書店ミケーネへも行きました。たしか2018年の8月かな。久夫さんをはじめ、いろんな方と知り合うことができて、一気に羽後町のファンになりました。

一旦鎌倉に帰って、また10月に茅刈り体験をするために羽後町に来まして。それからは毎月羽後に来るようになりましたね。11月にはいま修繕中の古民家を久夫さんに紹介していただいて。状態は良いものではなかったんですが、今これを逃したら次はいつになるか分からない、と思ったのでその古民家を購入することにしたんです。

ー判断とか行動がすごく早いですね!しかも羽後町はもともと知っていたわけではなく、本当に縁もゆかりもない町だったと聞いてびっくりしました。

いや、それが縁もゆかりもあったんですよ!実は僕の祖母が増田町出身だったんです。僕は知らなかったんですけど、羽後町のことを初めて母に話をしたときに、祖母が秋田出身だと教えてもらいました。詳しくはわからないということだったので、母に祖母の遺品を探してもらったら戸籍票が見つかったんです。戸籍の住所が【雄勝郡西成瀬村荻袋字萱刈場48】。住所に「かやかりば」って入ってたんです。自分は茅葺きが好きという理由で、縁もゆかりもない羽後町にたどり着いたと思ってたけど、もともと祖母がお隣の増田出身でしかも萱刈場に住んでいたっていう。

ーすごい。ご先祖様からのご縁があったんですね!

そうなんです。そういえば子供の頃から、毎年秋になると知らない住所から僕の実家にリンゴが届いてたんです。母は何となしに受け取っていたんですけど、祖母が亡くなってからはリンゴが送られてくる理由が分からなくなって。以前送り主に電話したことがあるそうです。そしたら送付先のお婆さんと祖母が、同じ集落の幼馴染だったようで。

残念ながら幼馴染のお婆さんはもう亡くなっていましたが、息子さんが言うには「すごくお世話になった人のお家だから、リンゴができたらリンゴを送りなさい」と遺言で言われていたそうなんです。

実はもうひとつ面白いご縁があるんです。幼馴染のお婆さんには、いま地元の介護施設で働いているお孫さんがいまして。そのお孫さんが仕事先の施設で最後までお世話した“あるお婆さん”が、なんと僕が田代で購入した茅葺きのお家の持ち主だったんです!

しかもそのお孫さんはうちの墓守もしてくれていて。それでご先祖さまのお墓も見つけることができました。きっとご先祖さまに引っ張られてここへ来たんですね。

ー映画みたいなお話ですね!町に来るべくして来たという感じですね。
そういえば茅葺きや農家民宿に興味があって来たのに、なぜ米作りを始めたんですか?

茅葺きの家って循環の中で成り立っていると思うんです。里山があって茅場があって、それを刈る人がいて、職人さんがいて。刈った茅は雪囲いになって、腐ったら土地に戻されて、田んぼに戻って。すごく素敵だなと思うんです。それなのに、関東から来た僕がこの一連の流れの中から茅葺きの家だけを抜き出して、東京から来る人に「茅葺きって素敵でしょ?」って宿泊施設をやっても、何の意味もないと思ったんです。本質をついていないなと。それに気づいたときの選択肢は、やめて帰るか腹を据えてやるかのどちらかでした。

古民家の片付けをしながらひと月のうちに2週間近く羽後町に滞在していると、周りの状況も少しずつ分かってきました。耕作放棄地が広がっているところもあるし、農家のみなさんも高齢化しているし、目の前の田んぼもいつか耕作放棄になるんじゃないかと。この環境が成り立たないのに、茅葺き民家で民泊をやっても何の意味もないと考えるようになりました。

それでまずは“はさがけ”作業を手伝ってみたんです。そしたら「これ楽しい!これだ!」って。しかも日本の文化に密着したお米づくりは、まさに本質をついているなと思ったんですよね。それで米作りを始めました。そこに自分が関われるのはすごく光栄なことだと思います。

小林さんのこれから|「今」を生きる

ー今は新規就農2年目ということですが、5年後はどうなっていたいですか?

先のことは考えないようにしてるんです。というのも2018年の7月までは、まさか自分が秋田にいるとは思っていませんでした。今ある知識ってたかが知れているじゃないですか。今の見えている世界も今の経験も、今の時点ではそれしか語れない。それが1週間~1ヶ月~1年経ったら、知識も増えるし考えも深まる。そうすると見える世界も変わってくる。だから先のことは目標とか立てずに、まずは目の前のことを大事にしてます。

5年後は分からないですけど、今年の予定は農家民宿を始めてみることです。最初は完全な形じゃないかもしれないけど、今年中にはゲストを呼んで泊まれるようにしたいです。

小林さんからのメッセージ

 

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記者:UGONEWS編集部