【背尾の日常備忘録15】お七が愛した少年の眠る場所

こんにちは。羽後町を舞台にシナリオゲームを作りたい協力隊員、背尾文哉です。

前回の備忘録では羽後町に存在する三つの三輪神社についてご紹介しました。そのうちの糠塚の三輪神社近くに気になる建物があったので、今回はそちらについても投稿させていただきます。なお、まだ前回の記事をお読みではない方はそちらにもお目通しいただけると幸いです。

備忘録15 八百屋お七

八百屋お七が知られるのは、井原西鶴(1642~1693)が「好色五人女」に登場させたからである。それは卷四の「恋草 からしげ八百屋物語」(貞享3年2月)が発出であった。井原西鶴は謎多い人物であり、大阪の誓願寺に葬られたが江戸後期には忘れ去られ、今のように全作品が知られるようになったのは、昭和10年(1935)以降のことである。(参考・『江戸の放火 火あぶり放火魔群像』永寿日朗著 原書房 2007年巻)

◀月岡芳年 松竹梅湯嶋掛額(八百屋お七)

【八百屋お七あらすじ】

本郷の八百屋の娘のお七は、駒込吉祥寺の寺小姓の吉三といい仲になり、会いたいばかりの思いが募って放火の大罪を犯し、鈴ヶ森で火あぶりの刑になった。それを聞いた吉三は悲しみ、生きていても仕方がないと、お七の後を追い自害しようとするが、お七の両親や人々に説得されて吉三は出家し、お七の霊を供養する。

【三輪山円福寺観音院】

菅江真澄の『雪の出羽路 雄勝郡』(一八〇一、「秋田叢書第三巻」)には、杉宮の三輪神社別吉祥院の門末に関して、「雄勝ノ郡糠塚村三輪山円福寺吉祥院、中興法印を宥専といへり」「雄勝郡糠塚村の三輪山円福寺観音院。開山は杉宮養老寺の二世快基法印也、三十代中絶せり。宥三、宥天、円識、玄宗、快心、宥専、快敞也」と円福寺に関して、その由来等を記録している。

『秋田の密教寺院』(佐藤久治、一九七六)は、この円福寺を「真言宗 三輪山円福寺観音院、所在地 羽後町糠塚、歴代 開山 養老寺二代快基 天平勝宝六(七五五)没 中興 宥専、養老寺とは吉祥院の前寺名である 三〇代にして中絶する、沿革 糠塚の神明宮ほか一社の別当である中興宥専の墓を吉祥院小姓吉三の墓という……(以下略)」と解説している。

▲近辺には石像が祀られた祠も。

羽後町には、由来の知り得ない建造物が数多く存在する。羽後町のかつての暮らしや先人の思いに触れることで、新たな発見にもつながることだろう。

グーグルマップ:

https://goo.gl/maps/dJ2Wsd1UUxfVqtVYA

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撮影・執筆|背尾 文哉(地域おこし協力隊)

愛知県日進市出身。地域のイベントごとが大好きな、しがないゲームクリエイター。協力隊活動を通して得た羽後町の魅力をシナリオゲームにして発信予定。趣味はサッカーと筋トレ。